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【表参道ヒルズ店】#フリーダ・カーロとは?

 

 

 

 

4/12(金) ~ 14(日)に開催のJ.F.REY BOZ 新作受注会

 

 

発表されたばかりの新作を一早くご覧いただける受注会です

 

 

 

イベントテーマとなっているフリーダ・カーロ

 

そもそもフリーダ・カーロとはなんぞや?という方もいらっしゃるのではないでしょうか

 

 

フリーダ・カーロは病気や事故の後遺症と闘いながら、芸術や政治、そして愛に、波瀾万丈な人生をおくったメキシコの現代絵画を代表する画家であり、民族芸術の第一人者としても数えられる美術作家

 

 

いまさらではありますがそんな彼女について今回はご説明したいと思います

 

 

 

 

 

 

FRIDA KAHLO

(1907~1954)

 

フリーダ・カーロは1907年にメキシコシティで生まれました。彼女は今では有名な「青い家」(コバルトブルーの美しい家)で育ちました。

彼女は6歳の時、ポリオを患いましたが、とても快活で個性的な特別な学生で、かなり若いうちから刺激や破壊を好み、自由に強く惹かれるようになります。

彼女は政治革命の最中に成長し、その時代背景は彼女の人生を左右しました。ディアスの独裁政権に抵抗した最初のメキシコ革命は、インディアン文化ルーツへの回帰に大きな影響を与えます。民族衣装は住人の服装として定着し、伝統料理は社会の最もブルジョア的な家庭のテーブルにも復活しました。

 

 

 

 

フリーダは早熟で、自由な女性になることを願いました。18歳の時、乗っていたバスが路面電車と激しく衝突し、彼女はこの事故で脊髄、骨盤などの多発性骨折を負います。

長期間の闘病生活が続く中、両親は彼女のためにイーゼルと絵の具をそろえ、鏡付きの天蓋のようなものを用意します。その時、彼女は自分の内なるアイデンティティ、幻想、自己の複製、死との関係に直面し、医学への道を諦めます。

19歳の時、彼女は40歳の年上男性、ディエゴ・リベラと出会い、二人は1929年に結婚します。ディエゴは彼女にとって神であり息子であり、父親、もしくは彼女曰く「彼は二度目の事故」でした。彼女は自身のルーツを求めて「メキシコ性」の原点に戻り、欧米の価値観とは異なる美しいテワナの民族衣装を着るようになります。

フリーダの生涯は芸術そのものでした。まさに「フリーダの芸術は爆弾に結ばれたリボン」だったのです(AndrēBreton 1939)。彼女は1954年、青の家で47歳で亡くなり、3年後には夫、ディエゴ・リベラも亡くなりました。

 

 

 

文・写真共にJ.F.RAY・BOZ 2019 SLITカタログから抜粋

 

 

 

 

彼女の事を知ると、とてもイベントが楽しみになりますね

 

 

皆様のご来店をお待ちしております

 

 

 

期間中はヒルズポイント5倍

(リュネット・ジュラのみでの期間限定開催です)

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