フランス東部ジュラ地方に近いディジョン在住のワイン研究家 菅沼はるみ様より、リュネット・ジュラの原点であるフランスの様々な楽しい情報をお届けして参ります。
今回は第八弾。
ワインとフランスの地名についてのお話です。
ぶどうの収穫が終わり、大勢の収穫人で賑わったワイン村に静寂が戻る頃、ぶどう畑では紅葉が少しずつ始まります。
見渡す限り緑だったぶどう畑は、黄色、オレンジ、赤に染まり、約1か月もすると、太陽の光で黄金色に輝きます。
ブルゴーニュの中心都市ディジョンから南へ約60キロに及ぶ丘陵地帯は、中世からワイン銘醸地として知られています。
フランス革命直後、行政区画を再編成する際、この地の県名を決める会議がありました。
その時、ディジョンの弁護士・議員であるシャルル・アンドレ・レミ・アルノーは、秋にぶどう畑が黄金色になることから、「コート・ドール(フランス語で黄金丘陵の意味)」を提案。
1790年にコート・ドール県が誕生しました。
この地にパリを流れるセーヌ川の源泉があり、ソーヌ川も流れていることから、「セーヌ・エ・ソーヌ」という名前も候補にあがったそうです。
フランスにはおよそ100の県がありますが、地理的な名称でないのは、このコート・ドール県のみ。「黄金丘陵県」、想像力をかきたてる美しい響きです。
コート・ドールという言葉は、日本ではあまり馴染みがなかったかもしれませんが、これからは、日本でも見かけることになるはずです。
2017年ヴィンテージから、ブルゴーニュ・コート・ドールという産地名称のワインが誕生します。
日本初お目見えは、2018年。
もし、どこかでブルゴーニュ・コート・ドールとラベルに書かれたワインを見かけたら、この金色に輝くぶどう畑を想い浮かべてみてください。
ワインが、さらに美味しく感じられるかもしれません。
コート・ドールという名前に関しては、続きがあります。
その為には、ステファン・リエジェール(1830-1925)に登場してもらわねばなりません。
彼は、中世から続く名家の出身で、父親はディジョン市長。
ステファン自身も政治家・弁護士でしたが、同時に作家・詩人として多くの著作を世に遺しました。
彼の建てた美しいお城が、コートドール、黄金丘陵のぶどう畑の中にあります。
「コート・ドールに欠けているのは、ロワールにあるような優美な城である。」と、1895年から4年かけて建てられたのが、このブロション城。
ロワールのシュノンソー城、シャンボール城などの要素を取り入れた、ネオルネッサンス様式の豪華なお城です。
彼は、冬はブロション城を離れ、地中海沿いのカンヌの別荘で過ごすという生活を送っていました。
カンヌ映画祭で有名な街です。
温暖で風光明媚な地に魅せられた彼は、この海岸沿いの一帯を自らの著作で「コート・ダジュール(フランス語で紺碧海岸の意味)」と名付けました。
故郷のコート・ドールから浮かんだ名前で、ブルゴーニュにコート・ドール県ができてから約100年後の1887年のことです。
それまでリヴィエラと呼ばれていた場所は、その後コート・ダジュールと呼ばれるようになりました。
現在では、「プロヴァンス・アルプス・コルシカ・コート・ダジュール」として、地方名にも使われています。
ステファン・リエジェールには有名な逸話があります。
アカデミー・フランセーズ入りし損ねた話です。
アカデミー・フランセーズは、知識人や作家・学者・政治家などから構成される組織です。
定員40人で終身会員、つまり、誰かが亡くならない限り、新たに会員になることはできません。
アカデミー・フランセーズの役割は、格調高いフランス語を守ること。
現在でも、会員に選出されることは最高の栄誉で、欠員が出た後は、席を巡って熾烈な戦いが繰り広げられます。
ステファン・リエジェールは、自らが所有するぶどう畑からつくられた最高級ワイン、シャンベルタンを毎年会員達に贈ってアピールしていました。
しかし、3回チャンスがあったにも関わらず、彼の願いは叶うことはありませんでした。
当時の会員が、落選理由を次のように語ったそうです。
「シャンベルタンが魅力的過ぎたんですよ。なぜなら、彼を選んでしまったら、それ以降ワインをもらえなくなってしまうからね。」
美味しいものに目のないフランス人のことだから、本当の話かもしれませんね。
コート・ドールのぶどう畑を歩く時、
コート・ダジュールでどこまでも碧く広がる地中海を眺める時。
そんな時に欠かせないのは、リュネット・ジュラで見つけたお気に入りのサングラス。
太陽光線の具合で、つるの部分が微妙に違う色に見え、よく褒められます。
晴れた日は、「今日はサングラスで出かけられる。」とうれしくなります。
フランスでは、サングラスは一年中欠かせません。
さて次は、お気に入りのサングラスでどこにお出かけしましょうか。