フランス東部ジュラ地方に近いディジョン在住のワイン研究家 菅沼はるみ様より、リュネット・ジュラの原点であるフランスの様々な楽しい情報をお届けして参ります。
今回は第二弾。
ジュラ地方はなぜ世界のメガネ産地となったのか。
そんなお話をお届けします。
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美しい山や湖、高原が広がるジュラ地方は自然がいっぱい。
夏にはハイキングやサイクリングを楽しむ人々で賑わいます。
そのような場所が、なぜフランスを、世界を代表するメガネ産地になったのでしょうか。
全ては、ジュラ地方にあるモレという小さな村から始まりました。
スイス国境に近いこの村は、山に囲まれた深い谷底にあります。
その為、日照に恵まれず、昔はほとんど住民がいない所でした。
しかし、近郊で鉄鉱石が産出されたこと、村に十分な流量の川が流れていたことから、水車を利用した金属加工業が始まり、村は変わっていきます。
16世紀以降、釘づくりが盛んになり、17世紀からは時計づくりも発展しました。
今でもモレの博物館には、その時代の時計が飾られています。
ちょうどナポレオンが活躍していた頃のこと。
1796年にモレで、釘用の鉄線からメガネフレームがつくられました。
これには諸説あります。
自分のイギリス製メガネをこわしてしまった釘職人が、新たなメガネを買うのに待たされる時間と費用を聞いてあきらめ、メガネフレームを自作してみたという説。
釘職人がメガネ修理を請け負っているうちに、メガネフレームをつくり始めたという説。
どの説が正しいのかはわかりませんが、いずれにせよビックリです。
高品質なモレのメガネは評判となり、19世紀末には、メガネが村の主力産業となりました。
当初、年300本ほどだった生産量は、軽量メタルフレームの開発により、19世紀末には年1000万本以上に増え、モレはフランス最大のメガネ産地となりました。
鉄道がひかれ、小さな村でつくられたメガネはフランス、そして世界中に輸出されていきました。
1911年には、300ものメガネアトリエが小さな村に立ち並んでいたそうです。
1904年、モレの学校にフランスで初めて、メガネづくりを学ぶクラスができました。
のちに、この学校は国立メガネ専門学校となり、現在もメガネ業界に多くの人材を輩出し続けています。
20世紀になると、メガネ産業を取り巻く環境は大きく変化します。
プラスチックやチタン等のフレームができ、デザインも、実用的なものからクリエイティブなものへと大きく変わってきました。
現在では、イタリアや日本、中国などとの国際競争も当たり前です。
しかし、今もなお、フランスメガネの80%以上はジュラ地方とその隣接地域で生産されていて、その品質とすぐれたデザイン力で世界をリードし続けています。
ジュラ地方はまた、フランス人が大好きなコンテチーズの産地でもあります。
そのお話は、いずれまた!